混沌としておる。




本棚が好きだ

その人の本棚を見ると
どんなことに興味があって
どんなことを勉強してきて
どんなことを考えて生きているのか
という、その人の中身が見える気がする



ふと、自分の本棚を見てみる





混沌としているw
(というか汚い)


漫画、小説、ゲーム、なんかよく分からん実用書が並び
さらにcaad10とミノウラのローラー台が立て掛けられてる

ぱっと見、掴みどころのない本棚だが
自分から見ると
「確かに自分はこういう人間であったか」
と、なんとなく自分自身を振り返ることができたりする



電子書籍、VODなどデジタルコンテンツが相当普及した世の中となったが
自分はいまだに「紙の本」が好きだったりする

紙の書籍など
場所は取るし、重いし、劣化するし、値段も高いし
と電子書籍と比べるとデメリットしかないように思える

それでも
あえて「カタチ」として残る紙の本に愛着を感じてしまう


「ページを捲る」という動作になにか「読んでる感」が味わえて好きだし
読み終えた際に、本棚に並べてその背表紙を眺めるのも
「所有欲」が満たされて好い


自分は古本というのも嫌いではなく、というかむしろ好きで
古本屋に漂うあの黴臭さが心地良い匂いな気さえする(フェティシズム)


ブックオフなどのいわゆる「新古書店」ではありえないことだろうが
おっちゃんが個人でやってる古本屋だったり
お寺の境内で催される古本市などで茶色く日に焼けた本などを買って読んだりすると
前の所有者が重要と思われる文章の横にラインを引いてたり、
自身の覚書などをページの片隅に書いてたりするものに出会う

理解しにくい感覚かもしれないが
こうした本を手にしたとき「ニヤリ」とした気分になる

このような体験はデータの電子書籍では絶対に味わえないものだ



本の「本質」とは
中身に書かれている内容であり、
外側の「紙」ではない
と考える人も居ると思うが
自分は「紙」もまた本の本質だと思う



高校生の頃に読んだ本で
「魂とは『その人間の身体の形』をしている」
と書かれていたのだが
自分はそれを読んでさもありなんと思った


「中身」と「外側」は本来不可分なものであり
どちらが優先的に本質だ、ということではない、と思う



自転車をやっていても
「魂は自分の身体の形」(というか「身体は魂の形」)
ということは結構実感できる


目標の大会に向けて
だんだんと仕上がってくると
身体もやはりそうした「カタチ」になってくる

自身の意識、モチベーションに応じた身体つきになってくる



ところで、皆さんが好きな「身体の部位」はどこだろうか


自分は
「足首からふくらはぎ」
である


他の方が大会の動画をyoutubeに上げられてて
それに自分が映っていたりすると
自分は自分の「足首からふくらはぎ」を見る


大会に向けて絞った結果、
「足首からふくらはぎ」が極端に細くなっていて
不要なものを削ぎ落し、鍛え凝縮された見た目になっている



そんな自分の「足首からふくらはぎ」を動画で見ながら

「はわわ~俺のふくらはぎ美しすぎりゅ~…」

とウットリしながらお酒を飲んだりしている
(性癖が歪みまくっとる)

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