とりあえず20,000m登り続ける。




今年のトレーニングとしての目標は

十三峠登坂回数:年間255本
獲得標高:月間20,000m

としています。



十三峠は3月27日時点で118本

なので、まぁどっかの時点でクリアできそう



で、獲得標高月間20,000mは

1月:20,384m
2月:20,184m

とギリギリながら何とか達成してきた。



というか自分の性分として、
なにか
「ケツに火が付くまで腰を上げない」
というところがあるので



月の初め→20,000m?余裕やろ
中旬頃→ん、まー、まだ何とかなるだろ
下旬頃→やばい!全然足りない!!

ということを毎度繰り返してる。

ストラバを見ていただいてる方は
月の終わり頃になると慌てて標高を稼ぎ始める自分の姿が見れて
少し愉快かと思います。

さながら夏休み終了直前に慌てて宿題をし始める学生です。



ちなみに、
普段の仕事もそんな感じです。
納期等のスケジュールが迫ってこないと仕事をし始めません。(アカーーン!)



で、今月(3月)は
3月26日時点で20,000m達成

週末の土日を残してる状態での余裕をもっての達成!
やった!
デキル男だぜ!俺!



こうしたトレーニング、
「目的」に対する「手段」についてだが、


目的:速くなること
手段:十三峠年間255本、獲得標高20000m
ということになるが、

自分の場合、
「手段を目的化する」
という面がかなり強い。


十三峠の本数をただ稼ぐこと
獲得標高をただ稼ぐこと
これ自体を目的としていたりする。


「手段が目的化する」
という言葉は
手段にばかり目をとらわれて本来の目的が見失われるという
わりとネガティブな文脈で使われることが多いが、

自分はこの「手段を目的化する」というもの
大いにアリ
だと思ってる。



「良いトレーニング」という観点から言えば、
一日に登る十三峠の本数は4本までで十分だと考えている。
というかそれ以上は余計で、
翌日の疲労のことを考えると逆に登らない方が良い。


のだが、
4本登った後も
「まぁ…今日は本数稼ぐために5本目いっとくか…」
とつい余計に登ってしまうことがある。


この5本目、ほんと無駄。


4本登った時点で体力はカスカスなので
もちろん5本目は強度がまったく上がらず、
ただ無理して登るだけになるという、
トレーニングとしてはまったくもって無意味。

ようするに手段が目的化してしまってる。



が、全然アリ。



この十三峠の登坂本数が1本増える、
獲得標高を上乗せできる、
これ自体が自分の練習のモチベーションになってる部分もある。
完全な自己満足の世界だが、それでイイ。


こうした「余計な一本」のお陰で月間獲得標高20,000mを達成できているし、
そして20,000mを無事達成できたという事実が
「じゃあ来月も頑張ろう」
というモチベに繋がっている。


で、月間20,000m登っていて
速くならないワケがない。



「手段を目的化する」

無駄な部分もあるだろう、
非効率的な部分もあるだろう、
が、
トータルで見て目的が達成できれば
まっったく問題ない。



速くなったヤツが正義だ。



たとえば新幹線に乗って大阪から「東京へ行く」という目的があるとして
移動中の食事を楽しむ、
道中の景色を楽しむ、
途中下車して観光する、
そうした移動という本来の「手段」を目的にしてしまっても、
結局東京へは着く。

向かっている方向が合ってれば最終的には目的の場所にたどり着く。
それでイイと思ってる。

ある程度ファジーというかアバウトというか丼勘定というか、
そういうのって完璧でない人間が上手いこと自分を動かすための
ある種のテクニックだとさえ思っている。




いよいよもって
今年の大会は開催状況がかなりあやしい感じになってきたが、
まぁ来年も大会に出続けることに決めたし、
焦っても仕方ないのでただ練習を続けよう。


「峠」という字は
山を上って、また下りる、
と書く。
そうしてまた上る。



上り続け給えよ、君。

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